公益社団法人岩手県猟友会

よもやま話

初猟のきっかけ

田野畑村猟友会 向川原 嚴

 原稿の要請を依頼されましたがコロナ感染拡大のおり、近隣にもコロナが多発し集中して文章を書く事ができず過去の出来事を思い付くままに書き綴ってみました。

 題名を見れば最近の若いハンターかと思われるでしょうが、70歳を過ぎ認知症検査を義務付けられた、リタイヤ一歩手前の小生が40数年前の想い出です。

 私の出生は沿岸の田野畑村、宮古市と久慈市の中間に位置し東に太平洋を仰ぎ風光明媚な半農、半漁の村です。村全体は80%の森林におおわれ狩猟には最適の地で、昭和40年代までは狩猟鳥も多かったため全国から多数のハンターが詰めかけ、最新の連発銃で戦場さながらの射撃を繰り広げておりました。

 当時私は20代で某会社の職員、銃に興味はありましたが狩猟の奥深さは知りませんでした。土曜日の仕事が終わり帰りがけに、上司から明日キジ撃ちに行くがお前もついてこいと言われハイと答えハンター3名の後ろについて山に入る事になりました。

 早朝、猟場に到着。車から降りて犬を出している時、反対側の斜面からヤマドリが10数羽(一瞬だったので)上って行くのが見えました。キジだ、キジだ、早く撃って、私は鉄砲も無く身軽で車から直ぐ降りられたのに、ハンター諸君は鉄砲を下して袋から銃を出して弾帯から散弾を込める頃にはヤマドリは峰を越え四方に飛び散っていました。最近であればこれで、がっかりするのですが当時は違います。よし今日は出るぞとハンター達は興奮状態、お前を連れて来たのは正解だった、何羽捕っても安心だ、私は捕獲した獲物の運搬役だった事を知りました。

 準備が整い犬を先頭にハンター3名に私がしんがりで先に進むと150mくらいで犬がセット、「イケー」の掛け声に犬が藪に飛び込むとヤマドリが、ゴド、ゴド、と数羽の群れが飛び立ち優雅な沢下り、めがけて3人のハンターがダーン、ダーン、ダーン一斉射撃、犬とハンターの、見事な息の合った流れるような動作は1枚の名画を彷彿させるシーンでした。この様な状態が午前中何回か繰り返され、10㌔ほど歩いて午前の猟を終了した時、捕獲数ヤマドリ3羽、消費散弾50発以上、3人は口々に自分の腕自慢をしていました。どうだ、お前も犬の役だけじゃつまんねぇだろう、鉄砲撃ちになんねぇかと本気とも冗談ともつかない誘いを受けました。たぶん当人は冗談つもりで言ったのだと思います。しかし、私は本気にしました。後年私がハンターになろうとしたのも、この日のワンカットと、ハンターにならないかの一声でした。以後40数年、先輩を見本に始めた狩猟も振り返ってみれば先輩の足元にも及ばない失態ばかり、後輩に指導できる知識も技術も無く、只々40数年が経過したと言うに過ぎないのです。

 当時を振り返ってみると、自然の豊かさ、獲物の多さ、又ハンターに対する厳しい目もありませんでした。現在はこの状態は尽く覆され、若者にハンターにならないかと言っても、冗談でしょうと本気で返されます。