2016年12月アーカイブ

周囲に支えられ、犬と歩んだ新米4年

 西磐猟友会 佐 藤 裕

 

 鉄砲撃ちを始めたきっかけは、周りからの「やればいいんじゃない?」って後押しから。

 仕事柄、県の農畜産業にかかわっていることから、獣害による農畜産被害の話は方々から耳に入っていた。私の住む地区でも年々とシカが増え始め、近年ではイノシシの目撃情報も出始めている。

 今から40年程前には、我が家がある民区40戸足らずに、30人以上の鉄砲撃ちがいたと言う。私が住み始めたころには、民区に1人、舞川支部全体でも6人だけでした。

 「まだ、田んぼや畑のシカやイノシシによる被害は出ていないけど、いずれ出てくるよねぇ。。。鉄砲でも取ろうかな。」って声に、快く答えてくれた家族の支えがあって、鉄砲撃ちを始めました。

 幸いに同時期に始めた友人の父親が鉄砲撃ちだったことから、1年目は師事を仰ぎ、ヤマドリとキジ、カモ類を中心に鳥猟の基本を学び、2年目には譲られたアオア系英ポ、バロンと名付けた猟犬の育成を、先に始めて

いた大学時代の友人に教わりながら、毎日のように一緒に歩きました。はじめのうちは、河川敷で走り回って、匂いも関係なくキジを追い出していましたが、だんだんと匂いがすると動きを止めるようになり、キジ猟最終日の115日にバロンが見つけたキジを初めて獲ることができました。

 3年目になるとバロンの動きが見違えるように良くなり、ポイントからのフラッシュの回数も増え、犬と伴に成長していく鳥猟の楽しみを感じることができました。また、地区猟友会の諸先輩方に誘われて、シカ猟にも勢子として参加するようになりました。シカ猟1年目は、3突の雄ジカを15mくらいの距離で見ることができましたが、矢をかけることができず、未熟な自分に悔しい思いをしました。

 4年目、バロンも2年間経験を積んだことで、さらに匂いを取るようになり、確実なポイントからのフラッシュが多くなり、出猟した際の捕獲効率が格段に上がりました。さらに、県猟青年部設立準備会が主催した捕獲の担い手セミナーに参加したことで、各地区の若い鉄砲撃ちの人たちと交流する機会に恵まれ、そこで知り合った(実は以前に山で遭遇していた)先輩猟師のクマ猟に同行する機会も得られました。また、シカ猟にも積極的に参加したことでシカとの距離も縮まり、勢子ながら2頭を、(たまたま)ネックショットで倒すことができたのはうれしい経験でした。

 そしてこれから5年目の猟期を迎えます。猟期外の毎日の散歩でも、細かな指示を与えることで、とてもいいレンジで探索するようになり、今猟期の解禁が待ち遠しい仕上がりとなりました。あとは私の腕次第・・・。また、担い手の繋がりから青年部での活動にも参加するようになり、狩猟仲間(犬を含む)と伴に成長していけるのが楽しみでなりません。

 若い仲間を巻き込みながら、事故なく、楽しく、続けていきたいと思います。

「狩猟」の永続を願って

和賀猟友会 宮杜 惇

 

 自然界の異変とも思われる現象が増え、ハンターにとって関心の深い狩猟鳥獣のバランスの異変も、誰の目にも明らかになってきた。

 言うまでもなく、野生鳥獣のバランスは、捕食者の一定数が存在し、はじめて保たれる。

 捕食者が増えれば被捕食者は減り、被捕食者が増えれば、捕食者も増える。

 このように、バランスをとる自然の精妙な仕組みに驚く。

 最近の鳥獣のバランスの崩れについては、その原因がいろいろ言われている。しかし、究極は、「人間の活動」が、その根底にあるのは、論を待たない。だとすれば、『「ヒト」こそ有害駆除の対象とすべき』と言う笑い話も成り立つ。

 さて、「絶滅危惧種」と言われるハンターの減少がバランス崩壊の要因の一つであることは、誰もが認めるであろう。

 狩猟者の増加を願って、皆さん、それぞれに努力なされている。

 私も今から六年前、時の環境大臣小沢鋭仁氏に、『「現代の刀狩り」がもたらすもの』と題する意見書を提出した。

 同時に提出した「全猟」誌には掲載されたものの、環境庁からは、何の反応もなかった。

 反復になる故、内容については詳述しないが、要旨は、以下のようなものであった。

 1972年の大石環境大臣の全国禁猟区案をきっかけに、浅薄な自然観に基づく各種愛護団体等の狩猟攻撃、マスコミ等の反狩猟キャンペーンにより、「狩猟イコール悪」という風潮が社会に広まった。

 その風潮に便乗するかのように、銃刀法の改定や適用の拡大解釈、厳格化、それによる諸手続きの煩雑化が、始まり、嫌気のさした狩猟者は、続々、銃を手放していった。

 勿論、新規に狩猟を始めたいという者も激減した。狩猟者の激減は、自然環境そのものにも重大な影響を及ぼす。十年後を想像すると慄然とする。何とかして欲しい、という趣旨であった。

 幸い、我が日本猟友会会長、佐々木洋平氏らの努力により、いくらか改善されたものの、道未だ遠しである。

 アンバランスとなって、被害が顕著となった鳥獣に当局が報奨金を出し、増えた分を減らそうというのは、一つの方法であろう。

 しかし、それは付け焼刃的対策であり、根本的対策ではない。

 

 カナダやアラスカで見聞きした時、痛感したのであるが、狩猟鳥獣の種や数の決定については、綿密なフィールド調査に基づく生態の把握、あるべき適正生息数の割り出しは、勿論、そのための人員確保、予算等が絶対的に我が国は不足しているのではないか。もっともっと基礎を固めるべきである。

 一方、我々狩猟者は、有害鳥獣駆除を第一義として狩猟をしているのではない。人類発生五百万年以来、綿々として続いて来た狩猟採集生活、原始的本能の赴くまま、自然の中で狩りを楽しみ、それを趣味としているのである。

 ただ、狩りという行為の結果が、いくらかなりと社会のお役に立てたのなら嬉しいし、要請を受ければ、協力を惜しむものではない。

 我々は、さもしい賞金稼ぎではない。誇り高き狩人である。

 

 話は変わるが、今年はクマがあちこちに出て話題になった。

 本来は、ヒトを恐れ、避けるはずのクマさんが、人を避けなくなったと、思われる。きっと、ヒトが怖いものでなくなった・・・のであろう。

 先日、子供の頃、犬に追いかけられた恐怖がトラウマとなって、成人となった今でも、犬には近づけない、という人のことをテレビで見た。

 クマさんとヒトの関係も同じではないのかな。

 

 伝統的に「春熊猟」は、昔から行われてきた。それが禁じられて何年になったか。

 穴籠り中、出産した母グマは、「ホーリャ」「ホーリャ」の、掛け声と、銃声に追われ、山を逃げ回った。

 子グマは、どんなに恐ろしかったろう。

 それが、強烈な記憶として残り、生涯、人を避けるようになったのではないか。

 「春熊猟」は、復活すべきではないか、と思うのである。

 ただし、綿密な生息数の調査や、「子連れ」の捕獲禁止等を含め、充分検討された、その後である。

 例えば、子連れの場合は、弾が当たらぬよう発砲し銃声を聞かせ、ヒトの怖さを教えるのである。

 「それは、目的外発砲だ」などとヤボなことは言わず、当局者も立ち会って、萌えだした新緑の中、タムシバ、ヤマザクラの咲く春山にご一緒しませんか。

 そうすれば、「狩り」の魅力の一端となりともご理解頂けるのではないかと思います。

 

 人類発生以来、諸説はあるようだが、約五百万年ヒトが農耕を中心とし、定住するようになったのは、わずか八千年前と言われる。

 それまでの長い長い時を、ヒトは狩猟採集をして生き続けてきた。ヒトのDNAは、わずか一万年や二万年では、変わらないと言われている。とすれば、誰もが狩りや採集の歓びを感じるDNAを持っている筈である。

 

 アルセーニエフの「デルスー ウザーラ」や「フォークナー」の狩猟物語「熊」などは、滅びゆく自然や、その中で生きた狩人、更には、狩猟文明へのオマージュであろう。

 

 私たちの時代で「狩猟」を終わらせてはいけない。私たちは、自然を愛し、野生鳥獣を愛する「狩人」である。そのDNAは当然、次の世代にも引き継がれているはずだからである。

 何だか、とりとめのない雑文になってしまいましたが「狩り」を愛し、その存続を願う八十歳を超えた狩人の繰言とご容赦下さい。

 

憧れの単独猟

軽米町猟友会 菅原 茂 

 

 早いもので、23歳で入った狩猟の道も、もう40年を超えてしまいました。

 何もわからないまま、独りで免許を取り、雉猟から始めましたが、2年目に同級生の入っているグループに入れてもらいました。以来40年余り昨年亡くなった師匠の元で、当地方には大物がいなかったので、ウサギ猟やキツネ猟などを巻き猟で楽しんでいました。平成に入ったころから五葉山の周辺に、シカ猟で出猟するようになり、また、北海道にも遠征するようになりました。

 ちょうどシカが爆発的に増え始めたころで、グループ猟で20頭前後の収穫があり、それなりに楽しんでいました。

 平成の10年頃に静岡の太田氏が狩猟界誌に、単独猟の素晴らしさを何回か投稿してあるのを拝読し、いつか私もと、思いながら夢を膨らませておりました。

 しかし、狩猟勘は、元より方向音痴で、体力も人様より自信の無い私はグループの遠征に日程が合わないときは、猟友に同行をお願いして出猟していました。

 ところが13年には、どうしても仲間の都合がつかず、図らずもあこがれの単独猟をすることになりました。家族の心配をよそに、海を渡り通いなれた足寄町の営林署に行くと、担当者に「一人ですか?本当は一人では困るんですよね。」と苦言を言われ「十年来の場所ですから、無理はしませんから・・」と頭を下げて入林許可をもらいました。シカやヒグマの情報を聞いて、営林署を出ていよいよ憧れの単独猟が始まりました。最初から決めていた、林道に入り、奥まで進み、車から降りて、ブル道を登る。12月の初めなのでシカのコール猟に挑戦しました。カウトークを数回吹いて耳を澄ます、また、数回吹いてあたりを伺う、今度はスウィートコールを吹く、難聴気味の私には、なかなかシカの気配がしない、あきらめて静かに歩き始めたとき、向かいの斜面をオス鹿が走り始めたので、けっこう落ち着いて、二連射で倒すことができました。

 急いでシカに近づいて確認、ほっとする。それからが大変でした。いつものグループ猟では、猟友の解体の手伝いばかりの私が、一人で全部しなければなりませんでした。まず、シカに感謝して、ナイフを入れる。自分なりに精いっぱい解体して後始末も出来るだけ丁寧にしました。リュックに、いっぱいの肉をいれて背負い、大汗をかきながら山を下りて車までたどり着きました。ホット一安心と共に、独りですべてをやったことで、少し自信がつき、少し大きな人になれたような気がしました。

 以来、毎年、グループ猟の他に単独猟に出猟し、最近では地元のハンターさんと共猟したり、妻を自分の好きな猟場に案内したりと猟果にこだわらず楽しんでいます。単独猟は、人間を大きくします。私も間違いなく毎年目方が増えています。(笑い)