| 岩手県猟友会では、狩猟体験記を募集しています。 |
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| 『森の番人を目指して』 ------------- 山川好太郎 | |
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私が狩猟を始めたのは、昭和43年(当時は11月1日狩猟解禁)からで、かれこれ40年にもなる。 |
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| 『安全狩猟をめざして』 ------------- ミーティング風景 |
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| 『狩猟マナーのひとつ』 ------------- 山田猟友会 武藤瑞雄 |
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ある日の鹿猟のことである。雪の吹雪く日の朝打ち合わせの場所に集合し、4、5人で猟場へと出かけ、ミーティングを済ませ天候も良くなって来た。早速、立ちと勢子に分かれ鹿追に入った。 |
| 『狩猟1年生のひとりごと』 ------------- 山田猟友会会員 山形勇彦 | ||||
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私は、平成18年春、仕事の関係で北海道から岩手県へ転勤してきました。以前から狩猟については興味がありましたが仕事上、転勤が多く「犬」の管理ができないということで狩猟免許を取得することなく半ば諦めていました。 ある時、「山田猟友会」の存在を知り、会長はじめ皆さんの楽しい思い出話を聞いているうちに狩猟の世界へ入ることに決しました。昨年講習会に参加し念願の狩猟免許を取得し「狩猟1年生」に40代半ばでなりました。 初猟の前日には、子供の頃の遠足前夜のように興奮してなかなか眠れませんでした。この体験を皆さんにも聞いてみたら同じような経験をしていることを確認しました。考えてみればそれだけ満足度の高い趣味であることを改めて認識しました。 |
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| 『有害鳥獣捕獲について』 ------------- 一関猟友会副会長 佐々木徳人 | ||
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ここ岩手県では、有害鳥獣についての取り組みが他の県より立ち遅れている。このままでは農林業は大変大きな損失を被ると思う。 今の農業は兼業農家が多いので、家に居るのは高齢者ばかりで、農作物が何の動物にやられたのかわからない人が多い。 クマ、イノシシ、カモシカ、タヌキ、キツネ、テン、ハクビシン、カラス、ヒヨドリ、ハトなどの被害が多い。特にクマは町の中まで出没したことがある。また、ハクビシンは民家や神社仏閣の天井裏に糞尿を残したりしている。 |
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| 『狸寝入り』 ------------- 山田猟友会 武藤信夫 | ||
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昭和32年頃亡きオヤジ(父)が狸の皮を剥ぎながら話してくれたと、記憶している。 オヤジは農林業の他に冬期間は毛皮獣を主に狩猟をしており、家や物置の外壁の彼方此方に獣の皮が張付けてあるのが、我が家の猟期の風景であった。 |
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| 『新聞を読んで思うこと』 ------------- 盛岡猟友会 信舞野繁多(新米のハンター) | ||
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私は犬が大好きである。毎日散歩を続けていたある日、オレンジ色のベストを着たハンター3人に出会った。「こんにちは、いい天気ですネ。」とか「いい犬ですネ。」とか声を掛けられ、「今日はクマがでて、リンゴがやられてネ、有害駆除中です。近くにいるかもしれないので注意して下さい。」などと気さくに話してくれました。 朝が早いこともあってその時はそのまま分かれてしまいましたが、数日後、また、この3人の方と出会いました。 |
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| 『老ハンターの楽しみ』 ------------- 盛岡猟友会理事 石川孝 | ||
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高齢になると必然的に動作は緩慢、判断力は低下、視力も減退してくる(例外の人もいるかも)と矢先が心配で発砲ができない場合が多い。里でのキジ猟等は気が重く出猟もしなくなってくる。それに較べ山中での狩猟は矢先の安全度が高い。となるとヤマドリ猟という事になってくる。老ハンターに沢登りが大変で、とても猟にならないのでは無いかと心配されるでしょうが、私には強い味方がいて解決してくれるのである。山で獲物を追っているうちに獲物を追い越し、獲物が後からノコノコ付いてきたという健脚の持ち主S氏、早打ちマックと異名を持つO氏の猟友である。 |
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| 『有害鳥獣捕獲について』 ------------- 二戸地方猟友会会長 佐藤勇造 | ||||||
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一昨年の有害鳥獣捕獲の時の事です、2月15日の狩猟も終了して、間をおかずに2月〜3月の土日を捕獲日にしまして、県有林の折爪岳にノウサギの捕獲に今日は8名で行きました。写真にも有りますが、天気も良く山の家まで除雪をしていただいたので、八合目位より始めて三回目の所では、12羽ほどをいちどにいただき、全部で21羽捕獲しました。県有林は杉やドイツトラシュの植林をして居ますし、松や雑木、カラマツなどが植えられています。雪も八合目より上は1m以上降り、ノウサギは、のびる目をたべますので捕獲は大事な行事だと思います。 |
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| 『熊騒動』 ------------- 山田猟友会副会長 武藤瑞雄 | ||
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今年も8月に入って一段と蒸し暑く毎日うだる暑さが続き、お盆も後数日と間近になってきた。朝の4時ともなれば朝日も目の高さまで登っている。朝のサブコマーシャルを終えて隣村まで片道24キロもある職場へと一直線。椅子に腰掛けお茶を一杯すすり込み、パソコンを立ち上げながらまたお茶を一杯、その時電話が掛かって来た。地元部落に熊が出没しトウモロコシ畑に被害が出たとのこと、即座に帰って駆除してくれ、冗談じゃねえ、飛行機じゃあるまいし、とつぶやきながら電話を聞いていた。熊は夜行性で人間様が寝静まった時に活動する臆病な動物である。目はさほど良くないが耳と鼻は人間様の何十倍も発達していると聞いている。音と臭いで生きているも同然である。しかし、突然鉢合わせになったときは凶暴になり、人間様であれ危害を及ぼす生き物である。 午前中は仕事が忙しく行けないので午後に現場で会うことにした。ようやく仕事も一段落したので現場に行って見ると山あいの小さな畑にトウモロコシが植えてあった。面積にして5畝ぐらいの畑である。被害があったって、どこに被害があったのか外見ではわからない。地主に聞いてみると畑の真ん中に案内された、とその時、ものの見事に畑の真ん中に身の丈以上に伸びたトウモロコシを3メートル四方に敷き詰め、その上に座って実を食べた殻がゴロゴロしているのではないか。 お盆の小遣稼ぎにしたいと思っているさなかと地主は嘆いていた。このことを見捨てる訳にはいかんと思い役場、振興局と有害駆除の許可を申請し、射殺を申し入れたが振興局は許可をくれない。人家も近いので人身事故があっては手遅れである。やむを得ん、山へ追い上げましょうと会員約15名で銃声と花火を鳴らしながら奥山へと追い払った。とは言っても獲物を見たわけではない、一応これで一安心と思いきや、2〜3日過ぎてからまた役場へ被害の電話が入って来た。奥山には餌が無いのでいくら追い上げても人里へ帰ってくるのだ。わなで捕獲するより手段は無いとのことから、わなを仕掛けることにした。狩猟のわなにも許可が必要で資格の無いものは狩猟法違反で罰せられることになっている。ここで当局の番である、資格者は当狩猟会では私だけである。 会員の方々へ指図しながら製鉄のわなをしかけて待つことにした。ただわなを仕掛けただけでは入らない、熊も贅沢である。人間様もそれぞれ好みがあると同じで熊さんにも好みがある。この熊さんは何を好んでいるか聴いてみることにした。 |
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| 『ウソのようなホントの話』 ------------- 山田猟友会理事 武藤峯雄 | ||||||||
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平成16年12月26日、熊猟に出猟すべく、兄貴分のミッチャンと某地区に出かける。 途中の林道はアイスバーンでスリップしながらも何とか現地に到着。さっそく車を降りてリュックとテッポー担いで急峻な沢を登る事約1時間、普段の運動不足がたたり足がガクガク、それでも何とか歯を食いしばり濃い笹薮の中へ分け入る。相棒のミッチャンは5合目付近を、私と愛犬リン君「猟歴1年生」は、7合目付近と二手に分かれて山を横なぐりに、熊の捜索開始。前夜の雪で笹の上には雪がいっぱい、それを杖でたたき落としながら進むが、雪が首に入るし、服にまとわり付くしで、10分もたたない内に服はビショグショ。来るんじゃなかったと後悔しながら30分も歩いた頃、大きな切り株「直径約1メートル」の前に出た。周りを見ても何もなし、時間も12時を過ぎていたのでお昼にしようと、その切り株に乗り、リュックとテッポーを置いて、おにぎりを取り出し食い始めた。 |
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| 『迷子のバンビちゃん どうするバンビちゃん・・はいポーズ』 ------------- 齊藤 俊夫 | ||||
「大自然はグルメの宝庫だ。でもナイフとホークの使い方を知らんと喰えんぜ」 この言葉が大好きだ。ナイフとホークとは何ぞや・・それは知識と技術である。 |
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| さてVTRが始まった。林道に放したが逃げもせずビデオのレンズに鼻を触れる始末である。頭と喉をなでてやりながら「早くアッパ(母親)に行け」促したが林中に入る気配はなく、工藤氏が先導して歩き始めたら何と工藤氏の後ろについて歩く始末。私はビデオで撮りながら「オッパイは持ってないぞ。ワラビしかないぞ」などと言って、さらに「ハイポーズ」と言ったら人の言葉が分かったのか、本当にポーズをとったのには「驚き桃の木サンショの木」であった(当地方では驚きの表現を「」で言う人はユーモアのある人) | ||||
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| さて、岩手県内の鹿の生息地はどうなってしまったか?盛岡市だけでも交通事故死の2例がある。ここ数年で友人や知人からの目撃情報は十数件もあった。五葉山北限の定説は20数年前から変わっている。内陸部は鹿にとって食料が無尽蔵に在る。ハンターは減る一方だ。行政はどう考えているのか?「さてどうしたらいいんだろうか、皆で考えよう」 |
| 狩猟体験記 『 鹿狩り 』 ------------------------- 三陸町猟友会会長 千葉 信夫 | ||||||
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| この日始めて経験することとなった鹿猟は、私にとってまことに新鮮なものだった。そこにはグループを一糸乱れずに 統率して獲物を仕留める「おやぶん」と呼ばれる44歳の鹿撃ち名人、菊地さんの姿があった。この日から菊地さんを師と
仰ぎ、以来30年余り数々の教えを授かり、家族ぐるみでお付き合いを頂くことになった。 【阿吽(あうん)の呼吸】 おやぶんを語るとき、欠かすことの出来ない一人の故人がいる。「たんこ(屋号)のとー(とうさん)」こと竹下昇さんである。 たんこのとーは親分より一回りも年長の勢子の名人であった。グループ猟は気ままな単独猟と違ってむずかしい。グループ猟には 往々にして要らぬ船頭が出現し、山でひと悶着を起こすことも多々ある。しかし山と鹿を知り尽くしたこの二人の存在は絶対的 であり、絶妙のコンビであった。山の段取りはおやぶんの一言で決まり、たんこのとーは手綱を引くように立ちの前まで鹿を連れてきた。 トランシーバーなどない時代、二人の阿吽(あうん)の呼吸は見事なものだった。 【腕前】 おやぶんの腕は誰もが認めるものだった。「立ち」に向かう姿は自信に満ち溢れ、銃声がするとそこには間違いなく獲物が転がって いた。おやぶんの腕前を物語る一つのエピソードがある。グループで山を移動中の事であった。谷を挟んだ優に150mを越える向かいの 斜面を登る数頭の群れを発見した。すぐさまライフル銃の猟友が挑戦したが、オープンサイトでは容易な距離ではなく、発射した数発 は獲物にかすりもしなかった。あきらめかけたその時おやぶんが肩から銃を下ろし弾を装填した。尾根に向かう群れが一瞬木立に 止まった瞬間、銃声とともに大きな獲物があっけなく斜面を転げ落ちた。「散弾銃では無理だから止めたほうがいい」と思わず口走って しまった自分を恥じることとなった。 【教え】 おやぶんからの教えは数え切れないほどある。その中でも特に口うるさく言われたのは、上手になりたければ九粒弾は絶対使うな、 逃がしても良いから一丸で肩先を狙えとの教えだった。この教えがそのまま後で手にするライフル銃の基礎にもなった。 また、鹿を撃つときは急がずゆっくり狙えともよく言われた。いくら走る鹿でも地形によっては立ち止まる。たとえ立ち止まらない までも必ずスピードを落とす場所がある。そこの見極めが鹿を射止めるコツだとも教わった。経験の浅いハンターは鹿の止まるのを 待ちきれず引き金を落とし、鹿と一緒にパニックにおちいる。まさに的を射た教えだった。こうして鹿狩りの基本を叩き込まれた私は、 その後おやぶんと共々にライフル銃を手にすることになり、恵まれた狩猟環境のなかで二人が射止めた鹿の数も千頭をはるかに超える までとなった。 【文化の継承】 時の流れは早い。おやぶんとの出会いから31回目の秋が間もなく訪れる。名人と言われた男が山を去り、かく言う私も数年で還暦を 迎える。荷鞍の沢の有害駆除で七頭の群れに勝負を挑み、全て倒してみせた若い頃の気迫はもうない。孫を持つ身になってから猟欲は獲物を 慈しむ気持ちに変わりつつある。しかし、鹿猟は伊達の殿様の時代からこの土地に続く大切な文化でもある。数少なくなった猟友達と 共にこの地域の狩猟文化を守って行きたいと思っている。 |