岩手県猟友会では、狩猟体験記を募集しています。
投稿の方法など詳しくは こちらをクリック!


岩泉町 前川 孝三氏より、雉の写真をご提供いただきました。
 

盛岡猟友会 齋藤 俊夫氏より、美しいテンの写真をご寄稿いただきました。
 

 

 『森の番人を目指して』 ------------- 山川好太郎
 

 私が狩猟を始めたのは、昭和43年(当時は11月1日狩猟解禁)からで、かれこれ40年にもなる。
 40年も鉄砲をかついで山歩きをしていると、色々なことがある。そんな思い出を振り返ってみると……。

 私が初めて銃を手にしたのは、KFCの水平二連、48,000円位の値段だったと思う。それに銃袋、弾帯、猟チョッキ、帽子など一そろい揃えて6万円弱。
 それでも当時の私の給料が2万円前後だったので、給料の3ヶ月分を要したことになる。そんなことが出来たのも、私が独身だったからで、妻が居ればそんなことは許されるはずが無い。(ちなみに結婚はその翌年の3月で、相手には鉄砲撃ちであることを隠していた。)
 当時の岩手県は「キジ王国」といわれ、獲物の数は豊富だった。もちろん猟友会の会員の数も……。
 岩手県猟友会の会員数は約7,000人といわれ、それと同等数の県外登録者が岩手県に入ってきた。私の父が鉄砲撃ちだったこともあり、毎年2〜3人の県外登録者が家に泊まり、猟を楽しんで帰ったものである。私も何回かは彼らと猟に出たが、彼らのリーダーは必ず里や道路に出ると「脱砲確認!!」と仲間に声がけをするなど、マナーの徹底した人だった。
 都会のハンターのマナーの悪さが問題になっていた時代、こんな人も居たのか……と関心したところである。

 地元の先輩たちともよく猟に出かけたが、中には家を出ると直ぐに弾を込め、安全装置を架けたから等といい、林道に入ると直ぐに私の後ろで「カチッ!!」と安全装置外す音がして、寒気をさせられた人も居たものである。
 良く銃に慣れるのは「肩付け100回」と言われたものだが、安全装置は肩付けと同時に行う癖を付けるよう教わったのは、この毎年来る群馬のIさんからだった。
 日曜ハンターだった私にも、そこそこの獲物は捕れた。年に30〜40羽のキジ、ヤマドリが手に入る時代だった。

 鳥猟10年位してから、縁があり大船渡のS師匠のところへ鹿猟の誘いがあった。  この師匠には様々なことを教わった。ある時いつものように猟友6人で鹿の巻狩に行き、タチと勢子に分かれて猟をしていると、突然師匠から無線が入った。今日はこの辺で止めて帰ると言う。時計を見ると未だ午前10時前である。皆で師匠のところに集まると、鹿を一頭倒していた。それと、勢子が一頭倒したという。合計2頭である。師匠の話によると、鹿は全部で6頭出て勢子で1頭倒し、残り5頭が師匠の前に来たのを1頭倒し、余裕があったにもかかわらず後は全部見送ったという。
「6人で食べるのには、これで十分でしょう。これ以上殺さなくとも」そして「残り4頭は、あとで楽しみましょうよ。」と柔和な顔で言った。 要するに、自然の恵みは食べる分だけ頂け……ということらしい。
 この師匠、銃と猟具とかにはあまりこだわらない人であった。むしろ猟人としての心構えや自然との付き合い方を多く教わったものである。
 今は群馬のIさんも、大船渡のS師匠も故人となってしまった。ご冥福を祈りたい。

 今私は、気心の知り合った仲間で鹿猟を行っている。  そんな仲間に、ユニークな人が居る。名前はMさん。
 Mさんは猟が大好きだが、鉄砲を持っていない。自分は視力が弱くおそらく許可が下りないだろうと、最初からあきらめている。それでもいつも、勢子役として猟に出てくる。
 そんなある日、いつものように彼が勢子をして猟をしていたが小一時間もして、空山と解り次の山へ移動することとした。Mさんがガサガサ音を立てながら「今日はいつまでたっても、霧が晴れない日だねェ。」と小柴をかき分けて出てきた。こんなに晴れて見通しがよいのに、変なこともいうものだと思いMさんを見たら、顔に眼鏡が無い。「Mさん、眼鏡はどうしたの?」と聞くと顔に手をやり、「アッ、眼鏡をおとした、探しに戻る。」と慌てた。視力の弱い人が眼鏡なしでは、晴れた日も霧の中のように見えるらしい。私は彼に「Mさん、探しに戻っても見つかる可能性は無いよ。今度この山で眼鏡をかけた鹿が現れたら俺が捕ってやるから。」と言って慰めたものである。
 またある時、午前で猟が終わり、皆で車座になり昼食をとることととなった。  その時Mさんは何故か一人はなれて、カップラーメンにお湯を注いでいた。3分後、急にMさんが立ち上がり、カップラーメンを持って近くの小川に入り、カップの底洗い出した。「どうしたの?」と誰かが聞いたが、Mさんは黙ったまま。また誰かが「Mさん、どうしたの?」と聞くと、ぼそっと「運がついた…」と一言。
 誰かがMさんの座った場所へ見に行き、「こりゃ、ほんとにウンがつくわ」と言っている。Mさんは誰かが、キジうちをした上にカップを乗せてお湯を注いだらしい。  「Mさんが、醤油ラーメンを買って来たのに、いつの間にか味噌ラーメンに変わったらしい」の一言にみんな大笑いとなった。

 こんな楽しい仲間に支えられ、そしてすばらしい先輩に恵まれて、今の私がある。  私の名刺の肩書きに「森の番人」と書いている。  IさんやS師匠の域には、まだまだ達していないが、永遠に森の番人を目指して生きたいものものである。

 

 

 

 『安全狩猟をめざして』 ------------- ミーティング風景
 
ミーティング風景
 

 

 『狩猟マナーのひとつ』 ------------- 山田猟友会 武藤瑞雄
 

 ある日の鹿猟のことである。雪の吹雪く日の朝打ち合わせの場所に集合し、4、5人で猟場へと出かけ、ミーティングを済ませ天候も良くなって来た。早速、立ちと勢子に分かれ鹿追に入った。

 数時間経っただろうか、獲物を仕留めた情報が入ってきた。成果はあったようである。 待ち時間もだいぶ経過しているので頭領から切り上げの無線が入った。沢登りの疲れと寒さに耐えながら勢子の追ってくる時間の長いこと、やれやれと銃から弾を抜いて銃身を確認し、 おおいをして下山しようとしたら、獲物の回収を手伝ってくれるよう情報が入った。 しかし、私からは2山も3山も超えて行かないとそこの場所までは遠くて行けない。近くに居る仲間に指示して手伝うよう促し下山した。

 仲間、いわく、獲物の回収に近道をして山に入ったら作業員らしき人が居るので挨拶をして「ここを通らせて下さい。私は某地区の猟友会の会員です。ここの山林の所有者ですか。獲物の回収にどうしてもここを通らないと回収できないので。」 とお願いしたら快く承諾してくれて助かったとか。またその所有者である長老いわく、「何十年とここに住んで、何十人とハンターがここを通って狩猟しているが、一度も挨拶をして通ったハンターはいないよ。」 と言って名前を聞かれたようですが、その場で話が弾み、回収が少々遅れてしまったとの話をして居ましたとか。

 常日頃、当猟友会の鹿猟仲間は狩猟事故防止以外の社会的マナーも身につけていれば快く許可も承知もしてくれるものと感銘し、楽しい狩猟の一日をすごさせてもらったことに感謝した。

 

 

 『狩猟1年生のひとりごと』 ------------- 山田猟友会会員 山形勇彦
 

 私は、平成18年春、仕事の関係で北海道から岩手県へ転勤してきました。以前から狩猟については興味がありましたが仕事上、転勤が多く「犬」の管理ができないということで狩猟免許を取得することなく半ば諦めていました。

 ある時、「山田猟友会」の存在を知り、会長はじめ皆さんの楽しい思い出話を聞いているうちに狩猟の世界へ入ることに決しました。昨年講習会に参加し念願の狩猟免許を取得し「狩猟1年生」に40代半ばでなりました。

 初猟の前日には、子供の頃の遠足前夜のように興奮してなかなか眠れませんでした。この体験を皆さんにも聞いてみたら同じような経験をしていることを確認しました。考えてみればそれだけ満足度の高い趣味であることを改めて認識しました。

◇◆◇狩猟1年生(シカ猟も1年生)◇◆◇  

 11月半ばから2月末にかけて日曜日の度に、約2時間かけて猟場へ移動します。その車中でベテランの方の成功談や失敗談を聞き今日のシカ猟へ期待感がふくらんでいくことを自分の中で感じました。現場へ近づくにつれて山の周りの足跡調査を行い本日のシカ猟開始となります。猟に先立ち綿密に計画及び注意事項が各員に伝えられます。その際、自分は初心者ということもあり先輩とともに持ち場に付かせていただきました。はじめのうち持ち場について、サァ来いとばかり気合いをいれていましたがシカが近くにまで来ても気配を覚えられ、結果、突然シカが現れ、疾風のように去っていき撃てるタイミングを失することが何度かありました。反省会などで気配を感じる能力を身につけなさいと指導されましたが、よく理解することができませんでした。大切さを実感するまでは、多くの月日を要しました。

 焦りと期待感が交差する中で、チャンスは猟期最後の日に音もなく訪れました。家を出発し「今日も1発も撃てないのかな」と思いつつ猟場へ向かいました。最後の日ということもあり持ち場の周囲の確認を自分なりに綿密に行い、シカの進入してくると思われる方向に銃を構え、身動きせず獲物の出現を待ちました。静けさのなかで、何かが近づいてきている「気配」を感じ、ゆっくりと後ろを確認してみると、シカが数頭山の峰にいて、こちらの方向を確認している様子が伺えました。動かないで様子を見守っていると、約10頭ほどの群れであることが確認できました。その群れが驚いたことにこちらへゆっくりと確実にこちらへ向かってくるではないですか。気持ちは最高潮に興奮していることが自分でもわかりました。ゆっくりと2発の弾を上下へ装填し、前から指導されたことを思いだし周囲に残りの弾を並べ落ち着いてもう一度周囲を確認し、安全な方向にシカが進入してくることを待ちました。気配に気づかれないよう意識してゆっくりとした動作に心がけ銃を構えました。群れの先頭のシカの前足の付け根付近に狙いをつけました。まだシカはこちらの存在に気づいていない様子で近づいてきました。そのとき1発を発射、続いて2発目をその後ろのシカに続けて発射しました。シカは一瞬転んだような感じで倒れましたが、すかさず立ち上がりその場を立ち去りました。「外れた」と思い間髪を入れず更に弾を2発詰めて、逃げ去る方向に更に発射しました。その後シカが周囲からいなくなり、付近へ報告したのち、戦果の確認を行いました。血の跡をたどっていくと1頭が木の陰に倒れていました「やった」興奮は最高潮になりました。確認すると心臓のところにヒットしていました。気を取り直しさらに別の血の跡があったのでたどっていくと、もう1頭が約100メートル先に倒れていました。2頭をゲット、結果、参加会員の全員から祝福を受けました。回収し解体している間は時間の経過を意識することは全くありませんでした。また、その夜の反省会は大いに盛り上がったことを今でも鮮明に覚えています。

 最後に猟友会の皆さんの指導を忠実に守った結果、「シカ猟1年生」でも、最後の日に獲物をゲットすることができたことに対して、猟友会各位へ改めて感謝するとともに、今後も狩猟者としての社会的責務及び関係法令の遵守を肝に銘じ末永く狩猟を行っていきたいと考えています。今後も岩手県猟友会会員各位の御支援、御協力を切にお願いするとともに、会の発展のために微力ながら貢献したいと考えています。

 

 

 『有害鳥獣捕獲について』 ------------- 一関猟友会副会長 佐々木徳人
 

 ここ岩手県では、有害鳥獣についての取り組みが他の県より立ち遅れている。このままでは農林業は大変大きな損失を被ると思う。

 今の農業は兼業農家が多いので、家に居るのは高齢者ばかりで、農作物が何の動物にやられたのかわからない人が多い。

 クマ、イノシシ、カモシカ、タヌキ、キツネ、テン、ハクビシン、カラス、ヒヨドリ、ハトなどの被害が多い。特にクマは町の中まで出没したことがある。また、ハクビシンは民家や神社仏閣の天井裏に糞尿を残したりしている。

 

 この頃の有害鳥獣は学習能力が向上してきており、思うように捕獲が進まない。特にカラスは利口で銃でも捕獲は困難になってきている。

 くくりわなの一部、トラバサミの使用禁止などで夜行性動物の捕獲が難しくなっている。県条例で使用可能にできないものか。

 夜行性の動物タヌキ、キツネ、イノシシ、ハクビシンは日中歩いてみてもほとんど出会うことがない。

 イノシシは県南で食い止めるべきだ。一関でもニホンジカがふえてきた。みんなが知らないうちにこのまま増えていくと、地域の農林業や生態系が益々犯されていく。すでにウサギ、キジ、ヤマドリなどはその数が激減している。北海道や三陸では増えるシカ対策に頭を痛めているが、当地ではそうならないように考えるべきだ。

 自分は老齢なので、他支部の会員の応援を得ているが、思うようにいかないのが現状です。クマのわな、カラス、イノシシのわなでの捕獲は他の猟友会(花泉、衣川、大東、前沢など)と連絡を取りながらやっていきたいと思っています。

 

 

 『狸寝入り』 ------------- 山田猟友会 武藤信夫
 

 昭和32年頃亡きオヤジ(父)が狸の皮を剥ぎながら話してくれたと、記憶している。

 オヤジは農林業の他に冬期間は毛皮獣を主に狩猟をしており、家や物置の外壁の彼方此方に獣の皮が張付けてあるのが、我が家の猟期の風景であった。

 

 何時もの様に相棒である猟犬アカ(柴犬の雑種)を連れて仕掛けた「わな」の見回りをしていた山の中で、突然アカが、なにかの匂いを嗅ぎ取ったか走り出し一山超えて行ってしまった、カモシカを追いかけたら呼び戻しの聞かない「迷犬」である、又ガッカリ(カモシカの意)を追ったか…。独り言を呟きながら倒木に腰を下ろし、のんびりと一服をしていると、背後からガサゴソと駆け下りて来る音がしてきた、やっと帰って来たか…。おもむろに腰を上げ音のする方を振り向いて驚いた、アカが狸を追ってオヤジに向かって来るではないか、背負っていた銃を下ろし弾を装填しようと慌てて手間取ってしまい、狙う間もなく既に二匹は目の前に迫り、遂にアカが狸に飛び付いた、途端に狸は抵抗せず全く動かなくなった、特に噛み付いた様ではなかったが…。銃を構えて様子をみるが腹を上にして死んでいる様でもある、アカは首をかしげて狸を見下ろしている、悪い所でも噛んで殺したかと、近づいて持っていた杖でつ突いてみるが目を開いたままピクリとも動かない…。

 なんとも不思議に思い、側の小枝を折り狸の見開いている目を軽く叩いてみた、な、なんと瞬きをするではないか…。狸寝入りとはこの事か…。たまらずオヤジは腹を抱えて大笑いである。

 コダシの中の狸は相変わらずピクリとも動かない、1月中頃であるが小春日和の山道であった。

 

 

 『新聞を読んで思うこと』 ------------- 盛岡猟友会 信舞野繁多(新米のハンター)
 

 私は犬が大好きである。毎日散歩を続けていたある日、オレンジ色のベストを着たハンター3人に出会った。「こんにちは、いい天気ですネ。」とか「いい犬ですネ。」とか声を掛けられ、「今日はクマがでて、リンゴがやられてネ、有害駆除中です。近くにいるかもしれないので注意して下さい。」などと気さくに話してくれました。

 朝が早いこともあってその時はそのまま分かれてしまいましたが、数日後、また、この3人の方と出会いました。

 

 読むとも無しに読んでいた新聞に「クマの大量出没」だとか「捕獲上限数を大幅に超えた捕獲」だとか「放縦」だとか、クマに関して聞き慣れない記事が続いていたので思い切って尋ねてみた。

 「ご苦労様です、毎日クマを追いかけているんですか?すぐに捕まえられるんですか?」などと訪ねると「いやあ最初は追い払いさ。次にまた出没すれば状況によってわなを、捕まえれば場合によって目印を付けて奥山に放したり悪グマは仕方ないから銃殺するのさ。」「それじゃあ毎日のように出動しているんですネ。」「そう、われわれは有害駆除隊員として推薦され、農家の被害対策に協力しているし、何よりもクマによる人身被害だけは防がなければならないので、市からの要請によって誰かが交代ででているんだよ。」

 人身被害、農林被害、防除隊員として数日間毎日出動していることを聞き、大変ご苦労様な事と、ありがたいことだと思いました。

 新聞等マスコミでは、出没情報が毎日のように流れ、ハンターの皆さんが、一生懸命に対応し、おかげで人への被害が少なくて済んだのだろうなと思いました。

 もう一人の人から「貴方、犬が好きのようですね。狩猟を、しかも鳥猟をやると犬の訓練にもなるし、もっと犬の性格が見えておもしろいよ。狩猟を一緒にやりませんか?」と誘われました。私は「銃の許可とか狩猟免許とかは大変だときいてますが?」と話したら「猟友会で講習会をやっているので受講すれば殆どの人が受かるのでそれほど難しくないよ。」と言われました。

 どんなものかなと思いましたが思い切って受講し、受験したところ合格し、銃砲の許可も得て仲間に入れて頂くこととしました。

 親切に射撃場での指導もして頂き、犬のこともいろいろと話を聞き11月の初猟を楽しみにしているところです。

 そんな矢先、の新聞報道には大変驚きました。「禁止されている実包の譲り渡しで警察が調査」しかも関係者がその道の指導者であったと報じられたからです。

 受験のために受けた講習会では、火取法によって、譲受、消費、保管、不要弾の処理について詳しく説明があり、県猟友会の講習会でも「取締法の不正はあってはならない」と指導を受けたものである。

 今後、関係者は襟を正してほしいと思うし、われわれも適正な取扱いについては、射撃やこれからやる狩猟と併せ、法をきちんと守らねばと思ったところです。

 

 

 『老ハンターの楽しみ』 ------------- 盛岡猟友会理事 石川孝
 

 高齢になると必然的に動作は緩慢、判断力は低下、視力も減退してくる(例外の人もいるかも)と矢先が心配で発砲ができない場合が多い。里でのキジ猟等は気が重く出猟もしなくなってくる。それに較べ山中での狩猟は矢先の安全度が高い。となるとヤマドリ猟という事になってくる。老ハンターに沢登りが大変で、とても猟にならないのでは無いかと心配されるでしょうが、私には強い味方がいて解決してくれるのである。山で獲物を追っているうちに獲物を追い越し、獲物が後からノコノコ付いてきたという健脚の持ち主S氏、早打ちマックと異名を持つO氏の猟友である。

 

 渉猟中そろそろヤマドリが動く時間帯になると、なじみの沢に向かう猟友は「Iさんは、ゆっくり登って来ればいいよ。あんまり頑張ると帰りが辛くなるよ。」と言い残して愛犬共に沢をどんどん登って行く。私は自分の足に聞きながら周りを眺めながら登って行くと、「バン」と銃声が聞こえて来る。「ヤッタな」と思っていると、長い緒の見事なヤマドリを背に愛犬と悠々と降りてくる。然し何時もそうなるとは限らない。「バン、バン、バン」と銃声が聞こえて来る。失中かなと思っていると「イッタゾー」と無線で叫んで来る。待ってましたとばかり銃を構えて、ヤマドリの下ってくるのを待つ。この一瞬が最高に楽しい。ソレ来た、「バン、バン」銃が火を吹く。その結果、頂きとなるか、残念でした又どうぞと飛び去って行ったかは、皆さんの想像にまかせます。このオコボレ頂戴猟もヤマドリの尾根越で沢下りが少なくなり、オコボレ猟のチャンスも少なくなって来たが、楽しい渉猟の日々であった。老ハンターが楽しく狩猟が出来るのも、猟友のお陰であると、心から感謝しており、今年も楽しく猟ができるよう、健康の自己管理に気を使いながら、今猟期も誘って下さる事を願い狩猟の解禁を待っている老ハンターである。

 

 

 『有害鳥獣捕獲について』 ------------- 二戸地方猟友会会長 佐藤勇造
 

 一昨年の有害鳥獣捕獲の時の事です、2月15日の狩猟も終了して、間をおかずに2月〜3月の土日を捕獲日にしまして、県有林の折爪岳にノウサギの捕獲に今日は8名で行きました。写真にも有りますが、天気も良く山の家まで除雪をしていただいたので、八合目位より始めて三回目の所では、12羽ほどをいちどにいただき、全部で21羽捕獲しました。県有林は杉やドイツトラシュの植林をして居ますし、松や雑木、カラマツなどが植えられています。雪も八合目より上は1m以上降り、ノウサギは、のびる目をたべますので捕獲は大事な行事だと思います。

   

 17年度の2月5日カラスの県下一斉駆除も、担当数の捕獲が出来て良かったと思います。今年度も会として実行しようと思って居ります。その外には会員の減少により有害鳥獣捕獲がきびしく成ってまいりました、支部では会員の集まりが出来なくなりそうです。それで2支部〜3支部を合流させて有害捕獲に対処して行こうと思っています。良い案が有りましたならば、お知らせ願います。
 今年の皆様方の良い猟をお祈り致します。

寄稿−佐藤
  写真は山の家の前でノウサギとともにです。
 

 

 『熊騒動』 ------------- 山田猟友会副会長 武藤瑞雄
 

  今年も8月に入って一段と蒸し暑く毎日うだる暑さが続き、お盆も後数日と間近になってきた。朝の4時ともなれば朝日も目の高さまで登っている。朝のサブコマーシャルを終えて隣村まで片道24キロもある職場へと一直線。椅子に腰掛けお茶を一杯すすり込み、パソコンを立ち上げながらまたお茶を一杯、その時電話が掛かって来た。地元部落に熊が出没しトウモロコシ畑に被害が出たとのこと、即座に帰って駆除してくれ、冗談じゃねえ、飛行機じゃあるまいし、とつぶやきながら電話を聞いていた。熊は夜行性で人間様が寝静まった時に活動する臆病な動物である。目はさほど良くないが耳と鼻は人間様の何十倍も発達していると聞いている。音と臭いで生きているも同然である。しかし、突然鉢合わせになったときは凶暴になり、人間様であれ危害を及ぼす生き物である。

 午前中は仕事が忙しく行けないので午後に現場で会うことにした。ようやく仕事も一段落したので現場に行って見ると山あいの小さな畑にトウモロコシが植えてあった。面積にして5畝ぐらいの畑である。被害があったって、どこに被害があったのか外見ではわからない。地主に聞いてみると畑の真ん中に案内された、とその時、ものの見事に畑の真ん中に身の丈以上に伸びたトウモロコシを3メートル四方に敷き詰め、その上に座って実を食べた殻がゴロゴロしているのではないか。

 お盆の小遣稼ぎにしたいと思っているさなかと地主は嘆いていた。このことを見捨てる訳にはいかんと思い役場、振興局と有害駆除の許可を申請し、射殺を申し入れたが振興局は許可をくれない。人家も近いので人身事故があっては手遅れである。やむを得ん、山へ追い上げましょうと会員約15名で銃声と花火を鳴らしながら奥山へと追い払った。とは言っても獲物を見たわけではない、一応これで一安心と思いきや、2〜3日過ぎてからまた役場へ被害の電話が入って来た。奥山には餌が無いのでいくら追い上げても人里へ帰ってくるのだ。わなで捕獲するより手段は無いとのことから、わなを仕掛けることにした。狩猟のわなにも許可が必要で資格の無いものは狩猟法違反で罰せられることになっている。ここで当局の番である、資格者は当狩猟会では私だけである。

 会員の方々へ指図しながら製鉄のわなをしかけて待つことにした。ただわなを仕掛けただけでは入らない、熊も贅沢である。人間様もそれぞれ好みがあると同じで熊さんにも好みがある。この熊さんは何を好んでいるか聴いてみることにした。

 

  わなに近づきそっと耳を傾けるとゴソゴソと音がしてきた。音で聞き分けるも甲種の資格者ならでは、この熊さんは蜂蜜とブランデーが大の好物であると言っている。早速会員にスーパーから蜂蜜とブランデーを買ってくるように言いつけて待つことにした。待つこと30分、会員がブランデーを持って来て熊さんは本当にブランデーが好きなんですかと尋ねる。これは俺がいただくのだと冗談に言った。しまったやられたと残念がっていた、とはいっても蜂蜜を薄めるのにはどうしても必要なのである、ブランデーを二杯ほど味見してから容器に入れ蜂蜜と一緒にかき混ぜてわなへ仕掛けた。

 二日目の朝である、5時半頃電話が掛かって来た。お盆の14日である、わなの扉が閉まっている、熊さんが入っているようだと被害を受けた地主からの電話である。そのことを聞いて全会員に連絡をしながら現場へと向かった。

 わなに近づき覗き穴からそっと覗いてみるとその穴から鼻を覗かせ、フゥーと威嚇してきた。さて、どうするか会員と役場職員で相談しながらこのまま山に放そうか、それとも鍋にしようか、ケンケンガクガク言っているうちに時間が経って来た。

 山に放してもそう遠い山も無い、一山越えれば隣の部落へと続いている、放された部落もこれまた困るのである。今日はお盆で墓参りに行かなくちゃ、それぞれがそう思っても口には出せない。お盆であるのに殺生は誰もしたくない、とは言ってもこのまま置く訳には行かない。さてどうしますか猟友会の会長に一任することにした。

 会長が会員に射殺させるか、と言ってみたもののお盆中は誰も殺生はしたくない、といってもこのまま置く事も出来ない。熊頭領が、夏熊は油が無いので鍋にしてもおいしくないぞ、そういうこと、集まった会員は全員が熊を仕留めたものばかり、熊の性格はよく知っている。この熊さんはよほど運の悪い熊さんである。

 さてこの熊さんをどうしようか、みんなが四苦八苦していた。わなに入っている熊さんも人間様の話声を聞いて暴れ出してきた。このままでは危険になる恐れがある、いざと言う時のことを思い会員を見回したら誰一人銃を持っている者はいないではないか。当局は自動車に積んではあるがその場所では使用できない。

 誰も銃を持っていないのか、駆除するにどうしようと思っているのかと、会員に気合いを掛けているうちに若い者が、私が持ってきていますとの事、これで一安心である。さてこれからどうしますか、私はお墓参りに行きますので後はお任せします。

 その後、夏グマにしては、うまい鍋に舌鼓を打った。

 

 

 『ウソのようなホントの話』 ------------- 山田猟友会理事 武藤峯雄
 

 平成16年12月26日、熊猟に出猟すべく、兄貴分のミッチャンと某地区に出かける。

 途中の林道はアイスバーンでスリップしながらも何とか現地に到着。さっそく車を降りてリュックとテッポー担いで急峻な沢を登る事約1時間、普段の運動不足がたたり足がガクガク、それでも何とか歯を食いしばり濃い笹薮の中へ分け入る。相棒のミッチャンは5合目付近を、私と愛犬リン君「猟歴1年生」は、7合目付近と二手に分かれて山を横なぐりに、熊の捜索開始。前夜の雪で笹の上には雪がいっぱい、それを杖でたたき落としながら進むが、雪が首に入るし、服にまとわり付くしで、10分もたたない内に服はビショグショ。来るんじゃなかったと後悔しながら30分も歩いた頃、大きな切り株「直径約1メートル」の前に出た。周りを見ても何もなし、時間も12時を過ぎていたのでお昼にしようと、その切り株に乗り、リュックとテッポーを置いて、おにぎりを取り出し食い始めた。

   

  リン君に分けてやろうと半分にして、犬の口元まで差し出すがなかなか食べない。

 変だなと思ったが口に押し込んだら飲み込んだので何も気づかず昼メシを終えた。さらにデザートのみかんを取り出して、何気なく犬を見てると、しきりに切り株の根本の雪の中へ鼻を押し込んで臭いを取っているので、何かいるんだろうかと思っていると、その途端パッと黒い塊、出てすぐさま引っ込んだ。

 ワッ熊だ、慌ててテッポー取り出し覆いを外してタマを込めようと右の弾帯からタマを抜いたら五号弾、イカン、イカン、スラッグ弾はどこだどこだと慌てふためいて弾を込める時間の長く感じる事。やっとの事で装てん完了、よしいただき…それから犬に行け行けと命ずるが猟歴1年生のリン君、シッポをシリに挟んで動けない。しかたがないので私が犬の代わりにワン、ワン、ワンと吠えるが、熊公なかなか出てこない、さあどうしようかと思案して、今度は右足で切り株の上からドンドンと踏み込むと、サッと飛び出した。すかさず肩口へズドンと一発、しかし熊公そのまま犬へ突進し揉み合いになる、当らなかったと一瞬思ったが、すぐさま犬から離れてヨタヨタ歩き出した。ヨシ当たった、熊公、10メートル程歩いた所で立ち止まり、こちらをふり向いた所へすかさず止メ矢をかけるとそのまま沢へ転げ落ちていった。

 ヤッタ、ヤッタ、バンザイ、嬉しくて嬉しくて枯枝と握手してしまう。そのうちミッチャンもやって来て二人で喜んだ。
 これはいつまでたっても熊の取れない私に、山の神様が恵んで下さったものに違いないと思った。感謝、感謝。

 究極のアウトドア、男のロマンではなかろうか。

寄稿−武藤
   
 

 

 『迷子のバンビちゃん どうするバンビちゃん・・はいポーズ』 ------------- 齊藤 俊夫

「大自然はグルメの宝庫だ。でもナイフとホークの使い方を知らんと喰えんぜ」

この言葉が大好きだ。ナイフとホークとは何ぞや・・それは知識と技術である。
 グルメを求めて2005年4月中旬よりコゴミに始まりコシアブラ、ワラビと山菜の種類が増していく。時にはナラタケ、タモギタケやハナビラタケと出会うことがある。
 しかし今シーズンはとんでもない物に遭遇した。それは6月4日午後2時半頃のことであった。猟友の工藤慶昭氏と2人で盛岡市郊外の山林でワラビ採りをしていたところ、ドイツトーヒの造林内で60cmほどの楕円形の茶色に丸い白点が付いたものが目に入った。その瞬間「ツチノコ?」かとも思ったが直ぐバンビだと分かった。何故かと言うとこの付近には3年前からブル1頭と雌5〜6頭を目撃し、VTRに収めていたからである。

   
さて、このバンビちゃんは首を持ち上げ立ちあがった。普通は逃げるものだがなんとキョトンとして私を見上げているのではないか。手を差し伸べると鼻を擦り付けてきた。鉄砲撃ち50年の私もこれには驚いた。熊と鹿も数え切れないほど見たが、自然の中のバンビは初めてだ。背高さは60cmほどで何と愛くるしいことこの上ない。
 私の脳裏には懐かしい映画のシーンが浮かび上がった。それは40年か前に観た洋画でグレゴリーペック主演のディズニー映画と記憶しているが、名画「子鹿物語」の1シーンで、母親を失ったバンビが坊やにだっこされた場面である。当時は天然色映画と言われてその鹿ノ子模様の素晴らしさに感激したものだったが、ここには正しく目の前に本物がいるではないか。ビデオカメラは車に置いていたので、これはVTRに撮る絶好のチャンスとばかりバンビをだっこしたら2回ほど鳴いたが暴れなかったので30mほど離れた4WDに戻った。工藤氏も何事かと車にきてびっくりした。
 
さてVTRが始まった。林道に放したが逃げもせずビデオのレンズに鼻を触れる始末である。頭と喉をなでてやりながら「早くアッパ(母親)に行け」促したが林中に入る気配はなく、工藤氏が先導して歩き始めたら何と工藤氏の後ろについて歩く始末。私はビデオで撮りながら「オッパイは持ってないぞ。ワラビしかないぞ」などと言って、さらに「ハイポーズ」と言ったら人の言葉が分かったのか、本当にポーズをとったのには「驚き桃の木サンショの木」であった(当地方では驚きの表現を「」で言う人はユーモアのある人)
 
その後バンビを山中へ誘導し尻を押したりして追い払うような格好で10分ほどVTRに納めた。「いやー全くまいったな・・」と2人の大笑いは帰宅まで続いたのであった。
 このVTRは当地のTV局に持ち込んだ。そして2分ほど放映された。その後東京のTV局から取材があり、6月8日朝5分ほどと日中数回放映された。
 
さて、岩手県内の鹿の生息地はどうなってしまったか?盛岡市だけでも交通事故死の2例がある。ここ数年で友人や知人からの目撃情報は十数件もあった。五葉山北限の定説は20数年前から変わっている。内陸部は鹿にとって食料が無尽蔵に在る。ハンターは減る一方だ。行政はどう考えているのか?「さてどうしたらいいんだろうか、皆で考えよう」

 

 狩猟体験記 『 鹿狩り 』 ------------------------- 三陸町猟友会会長 千葉 信夫
 
おやぶんと呼ばれた鹿撃ち名人がこの夏に銃を置こうとしている。 おやぶんこと菊地正雄さんとの初対面は、私が銃を手にした26歳の秋、解禁間近の地区猟友会の集まりであった。しかし、それまでハンターとは無縁であった私には菊地さんの正体は知る由もなかった。
やがて2年目のシーズンを迎えた。当時はまだキジ・ヤマドリは多く、初心者にも猟果は充分過ぎるほどであったが、折に触れて耳にする鹿猟に強い興味を抱くようになった。終猟も近いある週末、意を決してグループが集まるという製材所に顔を出した。そこには菊地さんを慕う個性豊かなハンター達が集まっており、新参者の私を快く迎え入れてくれた。
 
菊地 正雄氏(左から2番目)  筆者(右端)
   
この日始めて経験することとなった鹿猟は、私にとってまことに新鮮なものだった。そこにはグループを一糸乱れずに 統率して獲物を仕留める「おやぶん」と呼ばれる44歳の鹿撃ち名人、菊地さんの姿があった。この日から菊地さんを師と 仰ぎ、以来30年余り数々の教えを授かり、家族ぐるみでお付き合いを頂くことになった。

【阿吽(あうん)の呼吸】
 おやぶんを語るとき、欠かすことの出来ない一人の故人がいる。「たんこ(屋号)のとー(とうさん)」こと竹下昇さんである。 たんこのとーは親分より一回りも年長の勢子の名人であった。グループ猟は気ままな単独猟と違ってむずかしい。グループ猟には 往々にして要らぬ船頭が出現し、山でひと悶着を起こすことも多々ある。しかし山と鹿を知り尽くしたこの二人の存在は絶対的 であり、絶妙のコンビであった。山の段取りはおやぶんの一言で決まり、たんこのとーは手綱を引くように立ちの前まで鹿を連れてきた。 トランシーバーなどない時代、二人の阿吽(あうん)の呼吸は見事なものだった。

【腕前】
 おやぶんの腕は誰もが認めるものだった。「立ち」に向かう姿は自信に満ち溢れ、銃声がするとそこには間違いなく獲物が転がって いた。おやぶんの腕前を物語る一つのエピソードがある。グループで山を移動中の事であった。谷を挟んだ優に150mを越える向かいの 斜面を登る数頭の群れを発見した。すぐさまライフル銃の猟友が挑戦したが、オープンサイトでは容易な距離ではなく、発射した数発 は獲物にかすりもしなかった。あきらめかけたその時おやぶんが肩から銃を下ろし弾を装填した。尾根に向かう群れが一瞬木立に 止まった瞬間、銃声とともに大きな獲物があっけなく斜面を転げ落ちた。「散弾銃では無理だから止めたほうがいい」と思わず口走って しまった自分を恥じることとなった。

【教え】
 おやぶんからの教えは数え切れないほどある。その中でも特に口うるさく言われたのは、上手になりたければ九粒弾は絶対使うな、 逃がしても良いから一丸で肩先を狙えとの教えだった。この教えがそのまま後で手にするライフル銃の基礎にもなった。 また、鹿を撃つときは急がずゆっくり狙えともよく言われた。いくら走る鹿でも地形によっては立ち止まる。たとえ立ち止まらない までも必ずスピードを落とす場所がある。そこの見極めが鹿を射止めるコツだとも教わった。経験の浅いハンターは鹿の止まるのを 待ちきれず引き金を落とし、鹿と一緒にパニックにおちいる。まさに的を射た教えだった。こうして鹿狩りの基本を叩き込まれた私は、 その後おやぶんと共々にライフル銃を手にすることになり、恵まれた狩猟環境のなかで二人が射止めた鹿の数も千頭をはるかに超える までとなった。

【文化の継承】
 時の流れは早い。おやぶんとの出会いから31回目の秋が間もなく訪れる。名人と言われた男が山を去り、かく言う私も数年で還暦を 迎える。荷鞍の沢の有害駆除で七頭の群れに勝負を挑み、全て倒してみせた若い頃の気迫はもうない。孫を持つ身になってから猟欲は獲物を 慈しむ気持ちに変わりつつある。しかし、鹿猟は伊達の殿様の時代からこの土地に続く大切な文化でもある。数少なくなった猟友達と 共にこの地域の狩猟文化を守って行きたいと思っている。